通信No.42 Communications No.42

「通信No.42」をお届けします。以下、記事の内容(抜粋)のいくつかをご紹介いたします。

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「いのちの電話と私」-いのちの電話ボランティアの道を求めて-

(社会福祉法人熊本いのちの電話 研修委員小澤徳子)

一期生として認定後の相談員活動、継いで研修担当としての私の時間、それは、電話を通していのちの厳粛さと向き合い、いのちの電話の存在の意味を聞い続ける道程でした。
ボランティアのイメージは『生活の中の空き時間を提供する』が普通でしょうか。
でもそれは、このいのちの電話には当てはまりません。私にとっても、これは最初に起こった大きなたじろぎでした。しかしそれも、実習から始めて活動の姿を深く感じていくほどに、「これは腰を据えて関わるものらししりとの気づきとなり、生活の一部となっていったことを思い出します。
月2回の当番と1回の学習会。やむを得ないキャンセルであっても年度内のどこかで穴埋めしなければならない厳しさは、並ではありません。しかし、この厳しさの上にこそいのちの電話の存在はあることへの納得が、積み重ねる時間と共に心身に根づき、いのちの電話相談員としての心の軌跡を描いていったように感じています。
掛け手の皆さんが背負われる人生、それを降ろす術を求めて歩かれる今という時の険しさ。そこに描かれるのは、孤独、絶望、虚しさ、悲観、諦め、自暴自棄など万人万様の心模様。でもそれを受ける私の手には、私自身が得てきた私個人の納得しかないのです。
しかし、一旦相談員として受話器を取れば、私の納得がなんであれ、掛け手の視界に身を置いて傾聴し受容し共感することが求められる・・。その道程の困難さは、『私本体』と『相談員私』の葛藤ともなって、継続への迷いさえ起こしたものでした。
しかし、ふり返ってみればこの道を選んだのは私自身。道に踏み迷い方向に悩みながらも求め続けてきた日々は、そのまま、私自身の『生きる』そのものの舵取りでもあったと、つくづくと思います。
私にこの納得と充実をくださった、掛け手の皆さんも含めた全ての方々に、心からの感謝を感じます。
昨年出会った著書<*種村完司著『コミュニケーションと関係の倫理~ )の『いのちの電話」の章に、『受けて自身が「すぐれた生活者」であり『高い見識の社会人』であることが必要』とあり、更に『おのおののボランティアによる自己研鏡、人間性の深まりや陶冶が欠かせない』ともありましたが、改めてこの活動の深みを見る思いでした。
では、さて、この実現をどうしていけばいいのか、今また、新たな課題を見た思いがしています。
*種村完司氏…現在鹿児島短期大学学長。鹿児島いのちの電話の発足準備期間から関わっておられる先生です。

自殺予防公開講演会「俺は流れの旅役者」


熊本いのちの電話 自殺予防公開講演会
「俺は流れの旅役者」
(講師 玄界竜二氏 九州演劇協会会長)
2012年1月28日(土)於熊本県民交流館パレア

苦労を楽しみまっしょい
壮絶な人生の中から肝に銘じたこと
「自分を心底心配し泣いてくれる人がいた」それが支えでした。
一人ではない、周りに関心を持ち続けることが大切です
そして、苦労を楽しみまっしょい!
きっと一歩が踏み出せます。

<講演内容:抜粋>
小学校時代、僕が学校から帰ってくると、(預けられていた家の)おじさんが襟髪を捕まえて玄関まで引きず、っていき、「靴を並ぺんかー!J ランドセルも置きっぱなしだとまた引きずられて「ちゃんと片付ける所に片付けー!J と怒られるわけです。僕は何でこんなに怒られないかんとって、親父と違う意味で恐かった。旅役者で、かけ小屋のようなところで生活していましたから、そのおじさんが僕にしつけをしてくれてたんですよね。怒るのではなく叱るんです。だけど親父にずっと怒られて育ったので同じ種類の人間と思い、心に鍵をかけてしまいました。
  :
(中略)
  :
(親友沖田浩之を自殺で亡くし)心の底から泣きました。何でひとこと言ってくれなかったのか。自分にも経験があるけれど、役者には壁つでものが幾重にも立ちはだかって、そのたびに死と隣り合わせになるのです。行き詰ってどうしようもない時、誰にも相談できない時、そういう考えを起こすことがあります。でも僕の場合は、そのたびに周りの人から「お前の振り子は片方にしか振れとらん。だから時計の針が進んどらん。振り子は両方に振れてこそ針は動き始める。芝居のことばかりで遊びが何もない。」と言われたことを覚えています。
死ぬのは自分の勝手なのかもしれない。自分の命だから、自分がどう使おうと勝手なのかもしれない。でも、関わった周りの人聞がどれだけ傷つくか。残されたものがどんな思いをしてまた生きていかなくちゃいけないんだろうと考えたことがあるのか。人聞は強くない、弱い生き物だと思います。何かに頼らないといけないこともあると思います。頼れる人聞が傍にいればその人達に聞けばいい。アドバイスを貰えばそれで助かることもある。でも、周りに誰もそういう人がいなかったら誰に言えばいい。どんな人も命の重みは変わりない。そのためにボランティアで一人ひとりの電話の応対をなさってらっしゃる方々に、本当に頭が下がります。